嵐が吹いて川があふれて町が流れて、だからその町はもうダメかといえば、
必ずしもそうではない。
十年もたてば、流れもせず、傷つきもしなかった町よりも、
かえってよけいにきれいに、
よけいに繁栄していることがしばしばある。
大きな犠牲で、たいへんな苦難ではあったけれど、
その苦難に負けず、何とかせねばの思いにあふれて、
みんなが人一倍の知恵をしぼり、
人一倍の働きをつみ重ねた結果が、
流れた町と流れなかった町とのひらきをつくりあげるのである。
一方はただ凡々。他方は懸命な思いをかけている。
そのひらきなのである。
災難や苦難は、ないに越したことはない。
あわずにすめば、まことに結構。
何にもなくて順調で、それで万事が好都合にゆけばよいのだが、
そうばかりもゆかないのが、この世の中であり、人の歩みである。
思わぬ時に思わぬ事が起こってくる。
だから、苦難がくればそれもよし、順調ならばさらによし、
そんな思いで安易に流れず、凡に堕さず、いずれのときにも心を定め、
思いにあふれて、人一倍の知恵をしぼり、
人一倍の働きをつみ重ねてゆきたいものである。
(松下幸之助 「道をひらく」 より抜粋)
何とも深い。
これからは適当に開いたページについて私的考察を述べていこうかと。
会社もそうであるように、
大きな苦難や小さな苦難はつきもの。
なんの被害も被ったことのない、
創業以来順風満帆右肩上がりという会社も稀かと思う。
どんな会社も初めは小さな会社。
良い時もあれば、悪いとこもあり、
いろんな出来事が学びや気づきを与えてくれて、
ほんの少しだけ前に進むことも出来る。
歩みを止めさえしなければ、前に進めなくともその場にとどまることもできる。
何もないように思っていても、見えないところでは大きく変化があったりする。
たいていの悪いことは、トップの耳には入らず水面下で大きくなっていたりする。
それがいつか大きく揺れる。
まさに地震と一緒ですね。
事態は常に動いていて、美しい水平線を保ち続けることは無い。
人間も、宝石と同じで、
始めは輝きのない「原石」
削られ、磨かれ、輝きを放つ。
削られる角が大ければ多いほど、たくさんの光を取り込んで、たくさんの方向に光を放つ。
一度磨いた宝石は、そう簡単にくすんだり曇ったりはしない。
輝くために磨かれ、削られ、
傷つけられているようで、実はより輝くためはそうしなければいけないのである。
削って、磨いて、簡単に砕けてしまうものは「原石」とは言わない。
私はサロンも美容師もこれに似ている気がします。
スタッフには「輝いてもらわないと困る」のである。
新卒から入社したスタッフはまさに「原石」
それぞれ違う石で、色や形も人それぞれ。
ダイヤモンドのように硬く強い光を放つ人もいれば、
ローズクォーツのように優しく周囲を癒してくれるような人もいる。
そう、磨かれて、それぞれの良さが現れてくるわけです。
原石は勝手には輝かない。
原石が原石のままだと高い商品価値がつかない。
磨いてくれる人が必要なのである。
それは、経営者であったり、上司や先輩であったり、お客様であったり。
「辞めてしまうから」「嫌われたくないから」「めんどくさいから」
そう思って何も指導しない、間違いを正さない。
削らず、磨かず放置しておくと、輝きを放たずに脆く崩れやすくなるだけかもしれない。
見た目は硬そうに見えて、実は中途半端な硬さになってたり。
同じことを伝えても、
傷つけられてると思う人もいれば、
磨かれていると思う人もいるんですよね。
人間も失敗や挫折があるから、感謝もできるし、強くなる。
失敗したくない、挫折を味わいたくない人でも輝ける。
そんな場所ではない気がします。とくに我々の世界は。
他人と比べる必要はないが、
せめて昨日の自分と今日の自分を、毎日比べる必要はあると思う。
うれしい事、悲しい事、
たくさん経験することも、磨かれることなのかもしれません。
物語は挫折や失敗があった中でエンディングを迎えると「最高の物語」になりますが、
何もなく最短でエンディング(ゴール)を迎えても、「深み」がなくてつまらない。
我が国ニッポンはたくさんのプレートが交差する地震大国。
戦争により日本中が焼け野原と化した過去もある。
もしかしたら希望の見えない低迷する日本経済もこの松下幸之助先生の言葉のように、
「心を定め、人一倍知恵をしぼる」ことで復活できるかもしれない。
そう思いたいし、そうしたいものですね。