百の事を行なって、一つだけが成ったとしたら、これははたして失敗か成功か。
多くの場合、事の成らない九十九に力を落とし、すべてを失敗なりとして、
悲観し意欲を失い、再びその事を試みなくなる。
こうなれば、まさに失敗である。
しかし、よく考えれば、百が百とも失敗したのではない。
たとえ一つであっても、事が成っているのである。
つまり成功しているのである。
一つでも成功したかぎりは、他の九十九にも成功の可能性があるということではないか。
そう考えれば勇気がわく。希望が生まれる。
そして、事の成った一つをなおざりにしないで、それを貴重な足がかりとして、自信をもって再び九十九にいどむことができる。
こうなれば、もはやすべてに成功したも同然。
必ずやその思いは達成されるであろう。
どちらに目を向けるか。
一つに希望をもつか、九十九に失望するか。
失敗か成功かのわかれめが、こんなところにもある。
繁栄への一つの道しるべでもあろう。
松下幸之助 「道をひらく」より抜粋
2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんは、本来混ぜるべきものと違うものを間違って混ぜてしまい、どうせ失敗だろうと思いながら実験したら、結果的に成功したというエピソードがあります。
もし失敗したことでやめてしまったら、成功できなかったという例ですよね。
トヨタ自動車では失敗のことを「問題」や「不良」呼ぶそうです。
失敗という言葉には、“取り返しのつかないこと”というイメージがあるからだそうで、
問題や不良は「最終的な結果」ではないため、今後をよりよくしていくための改善のタネとなるのが問題や不良であり、それがあるからこそ業務は改善されていくということなのだそうです。
ネットやSNSの発達により、
情報は加速し自分には全く関係のない記事が嫌でも飛び込んできます。
「良く知らない」著名人や有名人が何かしらの「失敗」や「不祥事」が発覚すると、「良く知らない」人達によって「鬼の首を獲った」かのように批判や誹謗中傷の業火に燃やされ、
それこそ「炎上」してしまう。
まあ、なんでもかんでも「炎上」って使いすぎな気もしますけどね。
とにかく、世の中はずいぶんと「失敗」に厳しい。
借金して起業して失敗して返済できなくて破産すると復活もままならない。
もう日本からは革新的なイノベーションが生まれにくいともいわれている。
国政も企業も「前例主義」を抑えて若い世代にもっとチャンスを与えて新しい発想を取り入れる柔軟性も持っていないといけない気もします。
やはり問題は失敗を「悪」としてしまい、行動に制限がかかってしまう心理が働きやすくなってしまうことかと思います。
失敗したら恥ずかしい。
失敗したらかっこ悪い
失敗したら怒られる
失敗したら評価が下がる・・・
結果、失敗するぐらいならやらないほうが良い。
成功させるために結果が出るまで行動し続けることより、
失敗してしまったことによって起こり得る周りからの評価におびえ、
やらないという選択の方が「楽」という思考が脳にしみついてしまっている。
そういう人が多ければ多いほど、
「やったもん勝ち」なわけです。
途中でやめてしまう人が多ければ多いほど、
「やり続けたもん勝ち」なわけです。
やった人は、やった分だけの成功の種を見つけることができるし、
やり続けていると、要領やコツをつかむのでどんどん「生産性」が上がっていく。
成功している人は、最初からできていたわけではなく、
「できない状態からできる状態になるまで続けた」
これだけのことだったりします。
美容室を経営していても、
サロンを閉店する「損切り」の判断を迫られたり、
スタッフの退社が続いたり、
思うように売り上げが伸びないなんてこともあります。
しかし、それは失敗したからそうなったのではなく、
問題や不具合があったからそうなったわけで、
そこに早く気づけたと思えば、それは失敗ではなく「成長の源」であり、
会社においての「共有財産」となるわけです。
物語は、失敗も何もなくエンディングを迎えてもつまらない。
映画はたくさんの失敗と喜怒哀楽があって最高のエンディングを迎えるからこそ心に残る名作になるわけです。
そして人間は人の失敗が大好き。
なぜなら関係ない人の失敗や失墜を知ったとき、人間の脳内では「オキシトシン」というホルモンが分泌されるのです。
・幸せな気分になる
・不安や恐怖心の軽減
・ストレス緩和
そんな物質が出てしまうわけですから。性格の問題ではないわけです。
だからなのか、
たくさん失敗した人の方がどこか魅力があって好かれたりするし、話も面白かったりしますよね。
そのほうが「売れる」気がしませんか?