店舗拡大に関しての変化もそうですが、「スタッフ教育」もずいぶん変わった気がします。
私が美容室に入ったときはとにかく「技術」が美容師の持つスキルとしては重要度がとにかく高かった気がします。
何よりも説得力があるもの。それが技術。
そしてそこにコンテストなどの成績なども加わり、
コンテスト入賞 → 技術力ある → 美容師として評価される
かわいい女の子探して、好きでもない刈り上げしてね。入賞するために。
そしてこれに売上がついてくると、ある程度は美容師としての「成功」を収めたと言っていい。
みんな「美容師」として「技術」を磨き、それが売上を上げるために必要だと信じて疑わなかったわけです。
今は、どうなんでしょうね?
10年以上前は(今もそうかもしれませんが)、「美容師」の「技術」を「美容師が評価する」ことの方が多かったのですが、SNSなどの発信で、「美容師」の「情報発信」を「一般人が評価する」ことの方が圧倒的に結果につながっている気がします。
美容師のつくる奇抜なスタイルは、美容師には刺さるが、
一般の人には、一般的な「かわいさ、美しさ」の方が刺さる。
でも美容師は、美容師に認められても、顧客対象に刺さらなければあまり「優秀」とは言えない気がするのです。
よくありますよね。
「芸人が選ぶ、面白いと思う芸人」を紹介されて、ネタを見ると「?」ってなることありませんか?
でもワイプで抜かれた芸人はゲラゲラ笑ってる。
こっちもネタというよりは、そのゲラゲラ笑ってる芸人を見て、「笑わなければセンス無いってことなのかな?ちょっと笑っといたほうが良いのかな」という気持ちにさせられ苦笑い。
でも芸人は芸人を満足させるのが仕事ではなく、一般人を笑わせるのが仕事なわけです。
音楽を聴いていても、「なぜこの人たち売れるんだろう。何がそんなにいいのだろう。」「私の好きなこっちのバンドの方が良い曲いっぱいあるのに、なんでこっちのバンドは売れないんだろう」というように、「良い曲」だけでは売れなくても、「売り方」や「認知される入口」で売れてしまうこともあるわけです。
美容師さんも、売れてる美容師さんを、たいしたことないとか下手だとか、
芸人さんも、売れてる芸人さんを批判したりとか、
ラッパーも、売れてるラッパーを「あんなのラップじゃねえ」とか。
批判する前に、「売れてる理由」を分析するほうがどんなに生産的か。
プロがプロに絶賛されたとしても、プロとして消費者に響かなければいけない。売れなければならない。
つまり、美容師が学ぶべきは「ビジネス」や「マーケティング」であり、「技術」を磨くことはスポーツ選手が日々練習するのと同じで、もはや技術は「あって当然の物」なわけです。
技術はあくまでも提供する商品に過ぎず、そこに「価値」を上乗せすることが本当の美容師の「仕事」をすること、というわけです。
技術という「作業」をしただけで売上がどんどん上がるなら、そんな楽な「仕事」は無い。
「仕事」の「価値」を高め、多くの顧客が感じる「ビジネス」にしなければ、その先に成功は無いわけです。
我々は本来ビジネスマンで、たまたま美容師を選んだだけ。
たまたま選んだ美容師をビジネスマンとして教育するのが、経営者でありマーケッターなのかもしれません。
しかし、それをすると、優秀な人は「自分でもできる」「自分なりに考えてやりたい」となって「独立」を考えちゃうんですよねーーーー!
最近、スタッフは必要以上に「優秀」である必要もないのかな、なんて思います。
むしろ最低限のやるべきことを素直に行動してくれるスタッフが、お客様とっても会社にとっても「もっとも優秀で必要な存在」なのかなと。
だから「システム」を整えなければいけない。ムズ―――!
今の美容師さんは「学べる環境」がびっくりするぐらい整っていますし、モデルもアプリで呼べる。
我々がお金と時間をかけてきたことを、お金をかけず時短でできてしまう。
ということはですよ、技術的な事に関する価値はそんなに高くなく、技術以外の部分をどのように価値を感じてもらえるかが「売れる」カギになるわけです。
そこには美容師さんの持ってる「技術」ではなく、
「人間性」や「美容師の仕事に対する考え方」の方が圧倒的に大事なわけです。
そう考えると、やはり技術は自分の生活を守るための「盾」であり、
思考は攻めるための「剣」なのかもしれません。
とにかくここ10年で「やり方」よりも「在り方」に教育が偏ってきていることは確かです。
そう思ってるのは私だけかもしれませんが。
だって私、技術苦手だし、
教えるのも苦手だし・・・。