※本作品は、筆者の経験及び実話を元に創作された「フィクション」です。登場人物や特定の地域、出来事等はあくまでも筆者の脳内での想像により作られております。
そんなこんなで、勝手に美容学校のパンフレットを取り寄せ、ビクビクしながら海上自衛隊員である父に、
「美、美容師になろうと思うんだが・・・」
父は終戦の年に生まれた8人兄弟の末っ子で裕福とは言えない環境で、高校にも行かせてもらえず漁師をしたあとに入隊。
自衛官になっても防衛大学や高校卒が自分の上官になってく。
イケメンで屈強でスポーツ万能な父が唯一持っていなかったもの。
それが「学歴」
だからこそ私の兄に対する大学進学への「圧」は、弟の私から見ても高かった。
それぐらい、当時は学歴がすべて。
進学、大手企業就職、結婚、車、家。
これが当時の成功者であり、幸福のカタチ。
そんな兄は担任教師からの強い勧めと父親への説得で大手企業に就職。
私は大学進学の意思を伝えていたし、高い教材を買ったりもしてたので大学に行くとばかり思っていた父。
大学進学以外の進路を相談するのは、結構勇気がいる。
反対されるのを覚悟で話してみたら、
「ほお、やりたいなら、やってみればいいじゃないか」
なんでも、父は自衛隊員になっていなかったら理容師になろうと思っていたらしい。
案外、すんなり受け入れてくれた。
すいません、ここで反対されてれば、少しはドラマチックな展開だったろうに・・・
なんなら一緒に学校見学に来てくれた。
当時は青森に美容学校はなく、隣の岩手県盛岡市にいかなければならなかった。
もうね、青森の最北端で育った私からしたら、盛岡は大都会!
ここで1年学校通うのかと思うとワクワクしましたよ。(※当時は美容学校は1年で、その後1年美容室での実務経験がないと美容免許は取れませんでした)
たった1年ではあるが、しばらく両親に会えないかと思うと、家を出るときはなんか涙が自然と流れてきちゃいましたね。
18年間、最後までわがままを聞いてくれて。やりたいことをやらせてくれた。
離れてみないと、湧き上がらない感情かもしれませんね。
あたりまえのことが、ありがたかったんだと思えた瞬間。
実家にいたら、そう感じなかったかも。
だからこそ、やめてはいけないんだよね。
いま実家で当然のようにご飯が出てきたり、気がついたら部屋がきれいになってる、なんて人。
親がいてくれるって、当たり前じゃないんだぜ。