人は慣れる。
以前なぜ中学生が坊主じゃなければいけないのか!理由を述べよ!
という記事を書いたのですが、
前日まで髪の毛フッサフサだったのに次の日学校に行ったら、
あいつもこいつも全員坊主。
でもニヤニヤしてるのは一日目だけで、次の日は坊主が普通で何とも思わない。
ある時転校生が来て、初日髪の毛フッサフサできたのに次の日もちろん坊主で登校。
そりゃ違和感というか、かわいそうというか、ウェルカム坊主というか、何とも言えない感じに。
でも次の日はもういたって普通の坊主の日常。
刑務所に入ることなんて考えたくもないが、
もし入ってとしても、そのうちやっぱり「慣れる」のだろう。
実は世の中、良い人と思われてる人Aと、ちょっと嫌な奴と思われている人Bだと、
嫌な奴Bのほうが得をしている、らしい。
ある時、褒めてもらったとする。
その相手がAだった場合と、Bだった場合、
Bからもらった時の方が喜びが大きいというのだ。
つまり、プラスイメージからのgiveより、
マイナスイメージからのgiveの方が、ギャップが大きい分、印象に残りやすい。
逆にAさんからのgiveは「当然の日常」に近いためギャップが生まれにくく、印象に残り辛いというのだ。
何かわかるような気がしてならない。
いつもベタベタ話しかけてくるクラスの女子ではなくて、無口なおとなしい女子が実は自分に気があったりすると、そっちの女子の方がついつい気になってしまうみたいな感じ・・・、
いや、ちがうな。
最初はボーナスもらうとわざわざ電話とかメールとかで、「社長、ボーナスありがとございます!もっともっと頑張ります!」的なリアクションがあったのだが、毎年となるとそれも無くなっていく・・・、そんな感じだろうか。
そう、慣れるのである。
創業期の必死だったころから、徐々に労働条件や給与が良くなったりしていっても、昔からいるスタッフもある程度慣れてくるだろうし、新しいスタッフは良くなった状態からしか知らないので、現状がデフォルトなわけだから。
経営者さんも、ものすごいスタッフとの距離感を親密にして引っ張るタイプの人、ある程度の距離感を保ち、必要以上に時間を共にせず俯瞰するスタンスの人、どちらも基本的にスタッフに対する熱量は高いと思うのだが、果たしてスタッフ側からしたらどっちがいいのだろうか。
どんどん世代の差も離れていく中、ある程度若いスタッフともコミュニケーションをとらないとどんどん老け込んでで行きそうな気もするし・・・。
スタッフの中には自分より若い親もいるしね・・・。
やはり経営者としては背中に翼をつけて、あまり降臨しすぎず、「ここぞ」という時に鋭い矢を放つのが良いのかもしれないな、
と、最近は思います。
学んだことは、「いいひと」でいることは決して損なことではないし、むしろそっちの方に人は集まるし、「チャンス」や「運」を引き寄せる確率は上がる。
ただ「いいひと」と思われるよう無理していると、いろんなハードルを自分からあげてしまうことにもなりそうです。
人に翻弄されやすい業種ですが、「自分の軸」をしっかり強くしないとですね。
敏腕経営者さん、今度アドバイスください・・・。
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